『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』──批判もあびた心理実験を描いた映画
- 2017/10/30
- 02:30
ナチス題材の映画でヒトラーと並んで扱われる人物と言えば──

“アドルフ・アイヒマン”
やはり彼ではないでしょうか。
ナチス政権によるホロコーストに深く関与した人物の1人で、数百万人ものユダヤ人を収容所に送り込んだ人物で有名です。
後に行われた裁判での彼の言い分──
「私は命令に従っただけだ」
そんな彼の行動、発言を基にとある実験を行った社会心理学者──
“スタンレー・ミルグラム”
権威に対する人間の服従を示したこの「ミルグラム実験」を描いた映画がこちら、
『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』(2015年 監督:マイケル・アルメレイダ 出演:ピーター・サースガード、ウィノナ・ライダー 他)


アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発 [DVD][→Amazon]
【あらすじ】──1961年のアイヒマン裁判が行われた翌年。
社会心理学者スタンレー・ミルグラムは被験者を集め、とある実験を行った。
隔離されて互いに声しか聞こえない部屋に入れられた教師役の被験者と、被験者になりすました実験協力者の生徒役。
教師役は生徒役に問題を出題し、生徒役が正解できなければ電気ショックを生徒役にあたえるボタンを押すというものであった。
回答を間違えるごとに電圧の高い電気ショックのボタンを押していくことになる教師役の被験者。
隔てられた部屋からは生徒役の(演技による)苦痛を訴える声が聞こえてくる。
途中で実験に疑問を投げかける教師役の被験者だが、実験の指示者に「続行してください」と指示される。
特定の状況において、人間はどこまで権威者の指示に従い続けるのか。
その実験結果から、なぜユダヤ人大量虐殺「ホロコースト」が発生したのかをスタンレー・ミルグラムがひも解いていく。──
☆観る者に語りかける実験内容のリアリティ
心理学の世界では有名な実験らしく、ミルグラム実験という呼び名を知らずとも、内容としてはどこかで聞いたことがある人もいるかと思います。
主演のピーター・サースガード扮するミルグラム博士が作品の主人公として機能しながらも、カメラ越しに観客に向かって語りかける形式の描き方。

歴史上の実話を基に制作されていながらも、現在を映し出したドキュメンタリーにも似た調子がメッセージに説得力を持たせています。
よく言う「第四の壁を破る」というものですね。
所々でミルグラム博士と観ているこちらとの1対1となる部分で問題提起され、考えさせる演出は作品のテーマに興味を惹き付けられますが、人によってはここが映画としてのおもしろさを感じるか否かの分かれ目にはなりそうです。
私は始めのほうは集中力を持って観ていましたが、中盤から後半にかけては正直、寝かけました。
そういうダラダラ感は少し残念かなと個人的には思います。
そもそもこういう映画に、エンターテイメントなノリの良さを求めてはいけないのでしょうけど…。
★実験から見える人間の本質と賛否
さあ、そんな“ダラダラ感”は悪しからずとして──
やはりこの人間の持つ“服従心”と“残酷さ”を示した実験は興味深いものがあります。
まず数百万人もの人々を、ガス室で殺すための強制収容所に送り込むという任務に従事したアイヒマンとはどんな人物なのか。
冷酷非道でいかにも悪どい顔つきなのか。
実はそうではなく、ごく平凡な家庭を持つ男だったようです。
そういった事実から、自身もユダヤ人であり、父親からナチスによる迫害の経験の話を聞かされていたというミルグラム博士は、どんな人間もナチスのように残酷になってしまう危険性があることを見出だそうとしました。
被験者として集められた人たちは、やはり平凡で健全な心を持った人たちです。
45ボルトの電圧から始まり、生徒役が問題に対する回答を間違える度に電圧を15ボルトずつ上げていくこの実験。

40人中25人が最大の450ボルトまでスイッチを入れたとのことです。
どの被験者も途中で実験に疑問を投げかけ中止を求めたものの、実験支持者に「被験者は一切の責任を負うことはない」と言われるとやはり実験を継続。


300ボルトに達するまでに実験を中止した者は1人もいなかったという結果に驚かされます。
(私たちが使用している家庭用コンセントの100ボルト~200ボルトによる感電でも十分にショックが大きいです!)
ここまでくると、自分が同じ実験の被験者になったとき、実験を途中で拒否する自信があるかと聞かれたらなんとも言えなくなります。
こうして一定の条件下では善良な人であっても残虐になりうるということが証明されたかに思えますが、実験に対する倫理的批判もあったようです。

劇中ではそんな批判によるミルグラム博士の苦悩も描かれています。
あなたはこの実験をどうとらえるでしょうか。
☆“ナチス的”になるのに“ナチス”の呼び名はいらない
この作品のタイトルには『アイヒマンの後継者─』とついているし、実際アイヒマンの残虐行為の考察から行われた研究を映画にしています。
しかし、劇中ではアイヒマンの名前やそれこそナチスという言葉が使われる場面は思ったより少ないように思われます。
そのせいで、このタイトルが少し的外れにすら感じてしまいますが、内容としてはこれで正解とも言えます。
制作者側がそれを意識しているかはわかりませんが、私なりの考えとしては、歴史上の人間の残虐行為を語る上でナチスの呼び名だけを限定的に引き合いに出すことがおかしいです。
なので、アイヒマンの名やナチスという呼び名を劇中であまり多く使うことなく、人間の服従心や残酷さを語るほうがしっくりきます。
人間の心理のナチス的な要素を語るのに、もはやナチスという呼び名なんて必要ない。
そもそもこの映画に登場する実験とは、特別な狂人や冷酷な人間でなくとも、人は残酷になりうることを示しています。
「アイヒマン」の名前が使われることによってタイトルこそ見かけだおしになっているようですが、内容としては間違っていない──
そんな印象を与えてくれる作品です。
早い話が、こんな長いタイトルにしなくても単に、
『ミルグラム博士の恐るべき告発』
というタイトルで良かったのではということなのですが…。


アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発(字幕版)[→Prime Video]
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“アドルフ・アイヒマン”
やはり彼ではないでしょうか。
ナチス政権によるホロコーストに深く関与した人物の1人で、数百万人ものユダヤ人を収容所に送り込んだ人物で有名です。
後に行われた裁判での彼の言い分──
「私は命令に従っただけだ」
そんな彼の行動、発言を基にとある実験を行った社会心理学者──
“スタンレー・ミルグラム”
権威に対する人間の服従を示したこの「ミルグラム実験」を描いた映画がこちら、
『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』(2015年 監督:マイケル・アルメレイダ 出演:ピーター・サースガード、ウィノナ・ライダー 他)

【あらすじ】──1961年のアイヒマン裁判が行われた翌年。
社会心理学者スタンレー・ミルグラムは被験者を集め、とある実験を行った。
隔離されて互いに声しか聞こえない部屋に入れられた教師役の被験者と、被験者になりすました実験協力者の生徒役。
教師役は生徒役に問題を出題し、生徒役が正解できなければ電気ショックを生徒役にあたえるボタンを押すというものであった。
回答を間違えるごとに電圧の高い電気ショックのボタンを押していくことになる教師役の被験者。
隔てられた部屋からは生徒役の(演技による)苦痛を訴える声が聞こえてくる。
途中で実験に疑問を投げかける教師役の被験者だが、実験の指示者に「続行してください」と指示される。
特定の状況において、人間はどこまで権威者の指示に従い続けるのか。
その実験結果から、なぜユダヤ人大量虐殺「ホロコースト」が発生したのかをスタンレー・ミルグラムがひも解いていく。──
☆観る者に語りかける実験内容のリアリティ
心理学の世界では有名な実験らしく、ミルグラム実験という呼び名を知らずとも、内容としてはどこかで聞いたことがある人もいるかと思います。
主演のピーター・サースガード扮するミルグラム博士が作品の主人公として機能しながらも、カメラ越しに観客に向かって語りかける形式の描き方。

歴史上の実話を基に制作されていながらも、現在を映し出したドキュメンタリーにも似た調子がメッセージに説得力を持たせています。
よく言う「第四の壁を破る」というものですね。
所々でミルグラム博士と観ているこちらとの1対1となる部分で問題提起され、考えさせる演出は作品のテーマに興味を惹き付けられますが、人によってはここが映画としてのおもしろさを感じるか否かの分かれ目にはなりそうです。
私は始めのほうは集中力を持って観ていましたが、中盤から後半にかけては正直、寝かけました。
そういうダラダラ感は少し残念かなと個人的には思います。
そもそもこういう映画に、エンターテイメントなノリの良さを求めてはいけないのでしょうけど…。
★実験から見える人間の本質と賛否
さあ、そんな“ダラダラ感”は悪しからずとして──
やはりこの人間の持つ“服従心”と“残酷さ”を示した実験は興味深いものがあります。
まず数百万人もの人々を、ガス室で殺すための強制収容所に送り込むという任務に従事したアイヒマンとはどんな人物なのか。
冷酷非道でいかにも悪どい顔つきなのか。
実はそうではなく、ごく平凡な家庭を持つ男だったようです。
そういった事実から、自身もユダヤ人であり、父親からナチスによる迫害の経験の話を聞かされていたというミルグラム博士は、どんな人間もナチスのように残酷になってしまう危険性があることを見出だそうとしました。
被験者として集められた人たちは、やはり平凡で健全な心を持った人たちです。
45ボルトの電圧から始まり、生徒役が問題に対する回答を間違える度に電圧を15ボルトずつ上げていくこの実験。

40人中25人が最大の450ボルトまでスイッチを入れたとのことです。
どの被験者も途中で実験に疑問を投げかけ中止を求めたものの、実験支持者に「被験者は一切の責任を負うことはない」と言われるとやはり実験を継続。


300ボルトに達するまでに実験を中止した者は1人もいなかったという結果に驚かされます。
(私たちが使用している家庭用コンセントの100ボルト~200ボルトによる感電でも十分にショックが大きいです!)
ここまでくると、自分が同じ実験の被験者になったとき、実験を途中で拒否する自信があるかと聞かれたらなんとも言えなくなります。
こうして一定の条件下では善良な人であっても残虐になりうるということが証明されたかに思えますが、実験に対する倫理的批判もあったようです。

劇中ではそんな批判によるミルグラム博士の苦悩も描かれています。
あなたはこの実験をどうとらえるでしょうか。
☆“ナチス的”になるのに“ナチス”の呼び名はいらない
この作品のタイトルには『アイヒマンの後継者─』とついているし、実際アイヒマンの残虐行為の考察から行われた研究を映画にしています。
しかし、劇中ではアイヒマンの名前やそれこそナチスという言葉が使われる場面は思ったより少ないように思われます。
そのせいで、このタイトルが少し的外れにすら感じてしまいますが、内容としてはこれで正解とも言えます。
制作者側がそれを意識しているかはわかりませんが、私なりの考えとしては、歴史上の人間の残虐行為を語る上でナチスの呼び名だけを限定的に引き合いに出すことがおかしいです。
なので、アイヒマンの名やナチスという呼び名を劇中であまり多く使うことなく、人間の服従心や残酷さを語るほうがしっくりきます。
人間の心理のナチス的な要素を語るのに、もはやナチスという呼び名なんて必要ない。
そもそもこの映画に登場する実験とは、特別な狂人や冷酷な人間でなくとも、人は残酷になりうることを示しています。
「アイヒマン」の名前が使われることによってタイトルこそ見かけだおしになっているようですが、内容としては間違っていない──
そんな印象を与えてくれる作品です。
早い話が、こんな長いタイトルにしなくても単に、
『ミルグラム博士の恐るべき告発』
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