『エクソシスト』──やはり古典的名作は強すぎる!
- 2019/06/29
- 13:30
いや~悪魔祓い映画って本当におもしろいですね!
てな具合に以前、悪魔祓いのホラー映画を2つブログに書きました。↓
→『ドント・ヘルプ』──タイトルはしっかり内容どおりです!
→『バチカン・テープ』──憑かれた美女がホントに怖い!
そして悪魔祓いと言えばやはり外せない名作中の名作で、もはやそのジャンルの古典とも言える作品がありますね!
1973年の作品『エクソシスト』です。

細部を思い出したくて改めて観た『エクソシスト』はやはりすばらしすぎた!
…もうそれが言いたくてしかたがないんです!
時代が新しくなるほどいろんな趣向を凝らした作品が現れるのが自然だし、その中にはもちろん良い作品はあります。
しかし!
それらの多くの作品にある魅力を、70年代という時代にすでに軽々と通り越してしまっているのでは?と感じてしまう作品が『エクソシスト』なんです。
そんな古典的名作を観て改めて思うすばらしき要素をあれこれ述べてみたいと思います。
『エクソシスト』(1973年 監督:ウィリアム・フリードキン 脚本:ウィリアム・ピーター・ブラッティ 出演:リンダ・ブレア、ジェイソン・ミラー、エレン・バースティン、マックス・フォン・シドー、リー・J・コッブ 他)


エクソシスト ディレクターズカット版 & オリジナル劇場版(2枚組) [Blu-ray][→Amazon]
【あらすじ】──女優のクリス・マクニール(エレン・バースティン)は映画撮影のためにジョージタウンで家を借り、娘のリーガン(リンダ・ブレア)と滞在していた。
ある日からリーガンは異様な言動を発するようになる。
医者による診断でも原因がわからぬまま、リーガンは邪悪な声で話し始め、周囲で不可解な現象が起き始める。
クリスはリーガンに悪魔がとり憑いていると考え、カラス神父(ジェイソン・ミラー)に悪魔祓いを依頼する。
悪魔憑きに否定的であったカラス神父だが、調査を進めていくうちに悪魔の存在を確信し、大司教に悪魔祓いの許可を求める。
イラクの遺跡で発掘調査をしていたメリン神父(マックス・フォン・シドー)を主任に迎え、2人の神父はリーガンの悪魔祓いを行う。──


☆発掘現場のシーンからが不気味
物語全般において舞台になっているのはアメリカのジョージタウンという町ですが、ひときわ印象的なのが冒頭のイラクの遺跡発掘現場のシーンです。
いきなり主人公の母娘が登場するジョージタウンのシーンから始まっても十分に物語は成立しそうです。
しかしそのイラクでの遺跡発掘で悪霊パズズの像が発見されたときのメリン神父の表情で、これから恐怖の物語が始まるんだなと予感させてくれる演出が、作品全体を良い具合に重々しくしています。
まるで世界遺産番組を観ているかのような風景のシーンは、後のジョージタウンの風景とは対照的な空気ながら、むしろ最も不気味で、観る者の目にやさしくないシーンです。
こういうシーンを冒頭に置くところは、他の悪霊祓いを扱った映画にはない、にわかに荘厳さもあわせ持った描き方です。
★幸せな母娘に襲いかかる理不尽な恐怖
洋画のホラーを観ていてよく見受けられる設定なのですが、過去の出来事で心に傷を負っていたりと、主人公が何か問題を抱えていて、そこに例えば引っ越してきた家で恐怖に遭遇するという流れが多いですね。
本作『エクソシスト』に登場する母娘は、旦那が別居中らしいのですか、それは母親のクリスが女優で映画撮影のためにあちこち滞在しないといけないからでしょう。
娘の誕生日の過ごし方のことで電話でケンカしているシーンはあるものの、夫とそこまで不仲なわけではなさそうに見えます。
ましてや母親と娘の2人だけを見れば、なんとも幸せに見えます。
そんな幸せそうな少女・リーガンが、ある日から本人が口にしそうにないような言葉を、それも卑猥な言葉を発するようになるところから事が動き始めます。
こうして見ると、全くもって本作の悪魔憑きは理不尽です。
そしてこの様子がおかしくなるところへの場面の切り替わりが実に急です。
劇中のある部分ですでにリーガンが病院で検査を受けているところに行ってしまうものだから、いかにも悪魔がとり憑く前兆のようなシーンがないんですね。
この異様なまでに淡々としたシーンの流れは、モキュメンタリー映画のような雰囲気になっています。
なんじゃこりゃ?!となります。
まるで風邪にでもかかった娘を母親が病院に連れてきましたと言わんばかりのきっかけから、悪魔憑きの描写が始まります。
まさか始めから自分の娘が悪魔にとり憑かれているなどと考えるわけがないというリアルさを、正にモキュメンタリータッチで演出しています。
近年の映画でやりそうな演出を、この70年代の名作ですでにやっていたところがすごいですね!
☆とり憑かれる媒体に少女が使われる理由
以前のブログにも述べましたが、映画の中で悪魔にとり憑かれる媒体は少女が多い気がします。
『エクソシスト』はその点でも先駆けと言えるでしょうか。
そしてその理由とも言うべき本質を、本作ではすでに台詞の中で述べています。
メリン神父の台詞「我々を絶望させるためだ」
たぶん皆がこれと同じことを思っているのではないでしょうか。
そうであれば"そのまま思っていたとおり"なのですが──
やっぱり愛らしい少女が悪魔にとり憑かれて悪態をついたり、醜い形相に変貌を遂げたりするシーンは、対比的に恐ろしさが増しますね。
その中でも本作はとことんまでやってくれています!

あまりの酷さに、今観れば笑ってしまうかもしれません。
首が一回転したり、緑色のゲロを吐いたり。
よくも清純な少女にそんなことさせるな~と、観る者の気分をいい感じに害してくれます。
ホラー映画としてはここまでやってくれる力の入れように潔さを感じます(制作者や出演者は本作がホラー映画ではないと主張しています)。
私が一番笑えそうで笑えないのはスパイダーウォークで階段を降りてからの吐血です。
スパイダーウォークだけならまだしも、天使のような少女の口の中が血で染まる絵はなんとも絶望感があります。
★品のない思いきりな恐怖演出
先ほど述べたとおり、こんな少女によくもあんなことを!
と言いたくなる演出ですが、これはある意味この時代の映画ならではの思いきりが現れているようにも思えます。
ホラーに限らず、昔の映画では何かとあのシーンがトラウマ、このシーンがトラウマ、なんて思いを抱いている人がけっこういるのではないでしょうか?
だいたい70年代から80年代まで、あるいは90年代前半くらいまでが当てはまるかもしれません。
とにかく今のほうがCGを使って過激なシーンは作れるはずだけど、CGなんてなかった頃の映画のほうがなぜか過激に映ったりしているものです。
恐怖演出にしても残虐描写にしても、あまりクリアじゃない地味な映像の中で堂々とやっていたことが、むしろ良い意味で品がないというべきか…。
コワいシーンを、コワいもの知らずな素直さで表現していたと言えば、この感覚が伝わるでしょうか?
補足的な例をあげれば『遊星からの物体X』もそうです。
新しく制作された前日譚『遊星からの物体X ファーストコンタクト』よりも旧作のほうが圧倒的に後味悪い(あくまで良い意味でですよ!)ですよね!
とにかく今みたいな映像技術がない中で、ものすごい創造性が発揮されていたと思われます。
本作『エクソシスト』の首が一回転したり、緑色のゲロを吐いたり、スパイダーウォークで階段降下したりというのも、悪魔がとり憑いてなぜあんなことになるのかなんてのはともかく、そのインパクトの強さによって名シーンになっていったのでしょう。
☆焦れったくも丁寧な悪魔祓い実行までの展開
メリン神父の冒頭のシーンや、カラス神父が悪魔祓いに踏みきるまでの展開がとにかく焦らすほどに丁寧なのが本作です。
冒頭のイラクの遺跡でのメリン神父によるシーンは、先ほども言ったように、なくてもストーリーは成立しそうです。
ではそんな冒頭のシーンは何のためにあるかと言われれば、それはこの後リーガンにとり憑く者がパズズという名の悪魔であるという世界観を示すため、あるいはその不吉な予兆を観る者に示してその後の展開を盛り上げるためでしょう。
少なくとも観ている側としてはそう捉えることができます。
舞台がジョージタウンに切り替わってからはクリスが町の中を歩くシーンのカメラワークが特徴的です。
次々と画面が切り替わるのではなく、カメラのほうも歩行の揺れを起こしながら、エレン・バースティン扮するクリスをやや遠目で追っていく長回しの構図です。
何気ない間を描いたシーンながら、これから起こる恐怖へつながる異様さを傍観している感覚です。
この重々しい空気で映されたジョージタウンを舞台に、クリスやリーガンと並んで主要な視点を持つカラス神父の描写がまた丁寧です。
大抵の悪魔祓い映画での構図は、恐怖に襲われた主人公がいて、そこに力のある悪魔祓い師がやってくるというもので、悪魔祓い師が何か重荷を背負ったり苦悩しているなどということはあまりないでしょう。
しかし本作では悪魔祓いを実行することになるカラス神父のほうが苦悩していて、初めは悪魔祓いにも懐疑的です。
クリスから助けを求められてもすぐには悪魔祓いには踏み切らず、その悪魔祓いに至るまでの彼の感情面を表現することに時間が割かれています。


ごく普通の人間としての色が強く表れているカラス神父の人物像をじっくり見せるところに感情移入させる説得力があります。
★カラス神父の適度に素人っぽい自然さ
全くもって人物の苦悩する様だけを追って本作を観ていると、このカラス神父が物語全体の主人公に思えます(実際そう見るべきかもしれません)。
教会にいる神父さんのよくある落ち着いたイメージとは違う、やたらガッチリした体つき。
鍛えているようですが、どちらかと言えば内に溜め込んだ苦しさを発散させるとでも言わんばかりにジョギングやったりサンドバッグ打ちしたり…
ロッキーかよ!
まるで彼自身が一番に神の救いを必要としているかのような描かれ方です。

悪魔祓いはそれまでやったことなく、むしろそちらには否定的です。
もちろんすぐに悪魔のせいにしないところは誠実な姿勢ですが、いざ悪魔祓いに踏みきるにしてもメリン神父がいなかったらどうにもならないような人物です。

そんな素人っぽさがあるからこそ、クリスとリーガンの母娘とは別に、彼を主軸にした物語に時間が割かれていても飽きずに観ていられるんですね!
ある意味この作品は、悪魔に憑かれたリーガンを見せるのとは別に、カラス神父自身の内面での戦いを見せる作品でもあります。
──さて、悪魔祓いを描いた古典的名作についてざっと述べましたが、この『エクソシスト』を観る者に強く印象づけているもう1つの要素が、テーマ曲『チューブラー・ベルズ』ですね。
マイク・オールドフィールドによるこの名曲は、映画では不気味なイントロ部分のみが使われていて、やはりそのメロディが有名でしょう。


チューブラー・ベルズ 限定版[CD][→Amazon]
[→Amazon Musicでダウンロード]
しかし、実際は大所帯のバンド編成で演奏される、複数の楽章で構成された曲で、途中で明るい曲調なところも多くあります。
その曲の中盤(というよりけっこう後の方か)で昔の学校のチャイムの音色でお馴染みの楽器チューブラー・ベルズが使われます。

それにしてもやはりあの特徴的なイントロのイメージが強すぎて、『エクソシスト』という名作映画をこれまた名作たらしめる外せない要素となっています。


エクソシスト ディレクターズカット版 (字幕版)[→Prime Video]
【おすすめ記事↓】
→悪魔の存在を認めた裁判!実話ベースのホラー法廷映画『エミリー・ローズ』
→存在感薄くない?! スティーヴン・キング原作映画の悪くない続編『キャリー2』
→昔の洋画ホラーが素直におもしろい!──ハサミで襲ってくる殺人鬼ホラー『バーニング』
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→『ドント・ヘルプ』──タイトルはしっかり内容どおりです!
→『バチカン・テープ』──憑かれた美女がホントに怖い!
そして悪魔祓いと言えばやはり外せない名作中の名作で、もはやそのジャンルの古典とも言える作品がありますね!
1973年の作品『エクソシスト』です。

細部を思い出したくて改めて観た『エクソシスト』はやはりすばらしすぎた!
…もうそれが言いたくてしかたがないんです!
時代が新しくなるほどいろんな趣向を凝らした作品が現れるのが自然だし、その中にはもちろん良い作品はあります。
しかし!
それらの多くの作品にある魅力を、70年代という時代にすでに軽々と通り越してしまっているのでは?と感じてしまう作品が『エクソシスト』なんです。
そんな古典的名作を観て改めて思うすばらしき要素をあれこれ述べてみたいと思います。
『エクソシスト』(1973年 監督:ウィリアム・フリードキン 脚本:ウィリアム・ピーター・ブラッティ 出演:リンダ・ブレア、ジェイソン・ミラー、エレン・バースティン、マックス・フォン・シドー、リー・J・コッブ 他)

【あらすじ】──女優のクリス・マクニール(エレン・バースティン)は映画撮影のためにジョージタウンで家を借り、娘のリーガン(リンダ・ブレア)と滞在していた。
ある日からリーガンは異様な言動を発するようになる。
医者による診断でも原因がわからぬまま、リーガンは邪悪な声で話し始め、周囲で不可解な現象が起き始める。
クリスはリーガンに悪魔がとり憑いていると考え、カラス神父(ジェイソン・ミラー)に悪魔祓いを依頼する。
悪魔憑きに否定的であったカラス神父だが、調査を進めていくうちに悪魔の存在を確信し、大司教に悪魔祓いの許可を求める。
イラクの遺跡で発掘調査をしていたメリン神父(マックス・フォン・シドー)を主任に迎え、2人の神父はリーガンの悪魔祓いを行う。──


☆発掘現場のシーンからが不気味
物語全般において舞台になっているのはアメリカのジョージタウンという町ですが、ひときわ印象的なのが冒頭のイラクの遺跡発掘現場のシーンです。
いきなり主人公の母娘が登場するジョージタウンのシーンから始まっても十分に物語は成立しそうです。
しかしそのイラクでの遺跡発掘で悪霊パズズの像が発見されたときのメリン神父の表情で、これから恐怖の物語が始まるんだなと予感させてくれる演出が、作品全体を良い具合に重々しくしています。
まるで世界遺産番組を観ているかのような風景のシーンは、後のジョージタウンの風景とは対照的な空気ながら、むしろ最も不気味で、観る者の目にやさしくないシーンです。
こういうシーンを冒頭に置くところは、他の悪霊祓いを扱った映画にはない、にわかに荘厳さもあわせ持った描き方です。
★幸せな母娘に襲いかかる理不尽な恐怖
洋画のホラーを観ていてよく見受けられる設定なのですが、過去の出来事で心に傷を負っていたりと、主人公が何か問題を抱えていて、そこに例えば引っ越してきた家で恐怖に遭遇するという流れが多いですね。
本作『エクソシスト』に登場する母娘は、旦那が別居中らしいのですか、それは母親のクリスが女優で映画撮影のためにあちこち滞在しないといけないからでしょう。
娘の誕生日の過ごし方のことで電話でケンカしているシーンはあるものの、夫とそこまで不仲なわけではなさそうに見えます。
ましてや母親と娘の2人だけを見れば、なんとも幸せに見えます。
そんな幸せそうな少女・リーガンが、ある日から本人が口にしそうにないような言葉を、それも卑猥な言葉を発するようになるところから事が動き始めます。
こうして見ると、全くもって本作の悪魔憑きは理不尽です。
そしてこの様子がおかしくなるところへの場面の切り替わりが実に急です。
劇中のある部分ですでにリーガンが病院で検査を受けているところに行ってしまうものだから、いかにも悪魔がとり憑く前兆のようなシーンがないんですね。
この異様なまでに淡々としたシーンの流れは、モキュメンタリー映画のような雰囲気になっています。
なんじゃこりゃ?!となります。
まるで風邪にでもかかった娘を母親が病院に連れてきましたと言わんばかりのきっかけから、悪魔憑きの描写が始まります。
まさか始めから自分の娘が悪魔にとり憑かれているなどと考えるわけがないというリアルさを、正にモキュメンタリータッチで演出しています。
近年の映画でやりそうな演出を、この70年代の名作ですでにやっていたところがすごいですね!
☆とり憑かれる媒体に少女が使われる理由
以前のブログにも述べましたが、映画の中で悪魔にとり憑かれる媒体は少女が多い気がします。
『エクソシスト』はその点でも先駆けと言えるでしょうか。
そしてその理由とも言うべき本質を、本作ではすでに台詞の中で述べています。
メリン神父の台詞「我々を絶望させるためだ」
たぶん皆がこれと同じことを思っているのではないでしょうか。
そうであれば"そのまま思っていたとおり"なのですが──
やっぱり愛らしい少女が悪魔にとり憑かれて悪態をついたり、醜い形相に変貌を遂げたりするシーンは、対比的に恐ろしさが増しますね。
その中でも本作はとことんまでやってくれています!

あまりの酷さに、今観れば笑ってしまうかもしれません。
首が一回転したり、緑色のゲロを吐いたり。
よくも清純な少女にそんなことさせるな~と、観る者の気分をいい感じに害してくれます。
ホラー映画としてはここまでやってくれる力の入れように潔さを感じます(制作者や出演者は本作がホラー映画ではないと主張しています)。
私が一番笑えそうで笑えないのはスパイダーウォークで階段を降りてからの吐血です。
スパイダーウォークだけならまだしも、天使のような少女の口の中が血で染まる絵はなんとも絶望感があります。
★品のない思いきりな恐怖演出
先ほど述べたとおり、こんな少女によくもあんなことを!
と言いたくなる演出ですが、これはある意味この時代の映画ならではの思いきりが現れているようにも思えます。
ホラーに限らず、昔の映画では何かとあのシーンがトラウマ、このシーンがトラウマ、なんて思いを抱いている人がけっこういるのではないでしょうか?
だいたい70年代から80年代まで、あるいは90年代前半くらいまでが当てはまるかもしれません。
とにかく今のほうがCGを使って過激なシーンは作れるはずだけど、CGなんてなかった頃の映画のほうがなぜか過激に映ったりしているものです。
恐怖演出にしても残虐描写にしても、あまりクリアじゃない地味な映像の中で堂々とやっていたことが、むしろ良い意味で品がないというべきか…。
コワいシーンを、コワいもの知らずな素直さで表現していたと言えば、この感覚が伝わるでしょうか?
補足的な例をあげれば『遊星からの物体X』もそうです。
新しく制作された前日譚『遊星からの物体X ファーストコンタクト』よりも旧作のほうが圧倒的に後味悪い(あくまで良い意味でですよ!)ですよね!
とにかく今みたいな映像技術がない中で、ものすごい創造性が発揮されていたと思われます。
本作『エクソシスト』の首が一回転したり、緑色のゲロを吐いたり、スパイダーウォークで階段降下したりというのも、悪魔がとり憑いてなぜあんなことになるのかなんてのはともかく、そのインパクトの強さによって名シーンになっていったのでしょう。
☆焦れったくも丁寧な悪魔祓い実行までの展開
メリン神父の冒頭のシーンや、カラス神父が悪魔祓いに踏みきるまでの展開がとにかく焦らすほどに丁寧なのが本作です。
冒頭のイラクの遺跡でのメリン神父によるシーンは、先ほども言ったように、なくてもストーリーは成立しそうです。
ではそんな冒頭のシーンは何のためにあるかと言われれば、それはこの後リーガンにとり憑く者がパズズという名の悪魔であるという世界観を示すため、あるいはその不吉な予兆を観る者に示してその後の展開を盛り上げるためでしょう。
少なくとも観ている側としてはそう捉えることができます。
舞台がジョージタウンに切り替わってからはクリスが町の中を歩くシーンのカメラワークが特徴的です。
次々と画面が切り替わるのではなく、カメラのほうも歩行の揺れを起こしながら、エレン・バースティン扮するクリスをやや遠目で追っていく長回しの構図です。
何気ない間を描いたシーンながら、これから起こる恐怖へつながる異様さを傍観している感覚です。
この重々しい空気で映されたジョージタウンを舞台に、クリスやリーガンと並んで主要な視点を持つカラス神父の描写がまた丁寧です。
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クリスから助けを求められてもすぐには悪魔祓いには踏み切らず、その悪魔祓いに至るまでの彼の感情面を表現することに時間が割かれています。


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★カラス神父の適度に素人っぽい自然さ
全くもって人物の苦悩する様だけを追って本作を観ていると、このカラス神父が物語全体の主人公に思えます(実際そう見るべきかもしれません)。
教会にいる神父さんのよくある落ち着いたイメージとは違う、やたらガッチリした体つき。
鍛えているようですが、どちらかと言えば内に溜め込んだ苦しさを発散させるとでも言わんばかりにジョギングやったりサンドバッグ打ちしたり…
ロッキーかよ!
まるで彼自身が一番に神の救いを必要としているかのような描かれ方です。

悪魔祓いはそれまでやったことなく、むしろそちらには否定的です。
もちろんすぐに悪魔のせいにしないところは誠実な姿勢ですが、いざ悪魔祓いに踏みきるにしてもメリン神父がいなかったらどうにもならないような人物です。

そんな素人っぽさがあるからこそ、クリスとリーガンの母娘とは別に、彼を主軸にした物語に時間が割かれていても飽きずに観ていられるんですね!
ある意味この作品は、悪魔に憑かれたリーガンを見せるのとは別に、カラス神父自身の内面での戦いを見せる作品でもあります。
──さて、悪魔祓いを描いた古典的名作についてざっと述べましたが、この『エクソシスト』を観る者に強く印象づけているもう1つの要素が、テーマ曲『チューブラー・ベルズ』ですね。
マイク・オールドフィールドによるこの名曲は、映画では不気味なイントロ部分のみが使われていて、やはりそのメロディが有名でしょう。

しかし、実際は大所帯のバンド編成で演奏される、複数の楽章で構成された曲で、途中で明るい曲調なところも多くあります。
その曲の中盤(というよりけっこう後の方か)で昔の学校のチャイムの音色でお馴染みの楽器チューブラー・ベルズが使われます。

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