やっと観てきた『ターミネーター:新起動/ジェニシス』
- 2015/07/26
- 05:47
「アプリ」「アップデート」
スマホが普及した今、それまでよりも増して当たり前に使われるように響く言葉が劇中で表れる。
そして、昔からお馴染みのこのセリフも。
"I'll be back"
もうテンションあがります!
『ターミネーター:新起動/ジェニシス』
どうしても先に観ておきたい新作映画がほかにあったり、いざ観ようと映画館に行ったら満席だったり。
なんやかんやでやっと今週末観に行けました。
実のところネタの使い回しが蔓延しているように思えるハリウッド映画に置いて、このターミネーターのシリーズ5作目も期待度は半信半疑でした。
なんせ前作『ターミネーター4』がイマイチだった記憶が…。
人間vs機械の戦争が繰り広げられている未来。
その荒廃した未来を舞台にしたが故のことなのは分かります。
様々な形のマシンが襲い、しかもマシンと人間のハイブリッドやら、あのエンドスケルトン(ターミネーターの機械の骨格)の巨人バージョンが表れたりで…。
そもそも元からそういう筋書きの話から来ている映画なんだけど、─その内容はもはやただのSF映画──。
というわけで、あまり大きな期待はしていなかったんです。
実際パート3が2003年に公開されたときも批判があったようです。
─パート2で完結させておくべきだと──。
続編になるとつまらなくなる映画が多い中、ターミネーターだけはパート1よりパート2のほうがいいという意見はよく聞きます。
パート2は感情を持たないはずのサイボーグがジョンと包容をかわした後、自ら命を断つという泣かせる終わりとともに、スカイネットを阻止できたという終止感ができあがっていました。
"人間vs機械の戦争の始まりを告げる皮肉な結末"という点がこれはこれで話がよくできていて、パート3も個人的には好きなんですが…。
そして最新作のジェニシス─。
なんとパート3までと同じく話の大半は未来ではなく現代(厳密には2017年というちょい未来)を舞台にしているではありませんか!
おかげで"ただのSF"っぽさがなくて、しかもアーノルド・シュワルツェネッガーもメインキャストとして出ている。
往年のターミネーターらしさがちゃんとあります!
そして、コンピューターが数十年前よりもめざましい発展を遂げた今という時代であるが故に、1作目、2作目の頃──つまりはスマホはおろかケータイすらまだ普及していなかったあの頃よりもリアリティを感じます。
そしてそれが皮肉で、セリフの一つひとつがどこかシュール。
一度は考えたことがないでしょうか?
これだけ技術が進歩した現代。
昔は人の手で行っていた多くのことが機械やコンピューターでできてしまう時代。
この流れでまたどんどん新しい技術が生まれ開発されていく。
やがてほとんどのことが人間なしでできるようになった未来で、人類の存在する意味とはなんなのか。
──シリーズ通してのこの映画の話の軸。
知能が発達し、自我に目覚めたコンピューターが人類を驚異とみなし、攻撃する。そして機械と人間による戦争が始まる──。
しかしそもそもは機械もコンピューターも人間が生み出した物。
人類の存続のためにそれらを自ら壊していかなければならないくらいにまで発展してしまったとき──。
それが技術進歩の折り返し地点になるのでしょうか。
1984年に1作目が公開されたこの作品は、31年たった今の時代に筆者が考えているこの疑問を既に先取って提起しているように思えます。
…と、なんか大げさに語ってしまいましたが、何よりもシュワちゃんが戻って来てのこのシリーズの最新作の公開はそれだけでうれしいです!
欲を言えば、パート2のジョン役だったエドワード・ファーロングやT-1000役だったロバート・パトリックも、何らかの方法で出演してくれたら最高なのですが。
スマホが普及した今、それまでよりも増して当たり前に使われるように響く言葉が劇中で表れる。
そして、昔からお馴染みのこのセリフも。
"I'll be back"
もうテンションあがります!
『ターミネーター:新起動/ジェニシス』
どうしても先に観ておきたい新作映画がほかにあったり、いざ観ようと映画館に行ったら満席だったり。
なんやかんやでやっと今週末観に行けました。
実のところネタの使い回しが蔓延しているように思えるハリウッド映画に置いて、このターミネーターのシリーズ5作目も期待度は半信半疑でした。
なんせ前作『ターミネーター4』がイマイチだった記憶が…。
人間vs機械の戦争が繰り広げられている未来。
その荒廃した未来を舞台にしたが故のことなのは分かります。
様々な形のマシンが襲い、しかもマシンと人間のハイブリッドやら、あのエンドスケルトン(ターミネーターの機械の骨格)の巨人バージョンが表れたりで…。
そもそも元からそういう筋書きの話から来ている映画なんだけど、─その内容はもはやただのSF映画──。
というわけで、あまり大きな期待はしていなかったんです。
実際パート3が2003年に公開されたときも批判があったようです。
─パート2で完結させておくべきだと──。
続編になるとつまらなくなる映画が多い中、ターミネーターだけはパート1よりパート2のほうがいいという意見はよく聞きます。
パート2は感情を持たないはずのサイボーグがジョンと包容をかわした後、自ら命を断つという泣かせる終わりとともに、スカイネットを阻止できたという終止感ができあがっていました。
"人間vs機械の戦争の始まりを告げる皮肉な結末"という点がこれはこれで話がよくできていて、パート3も個人的には好きなんですが…。
そして最新作のジェニシス─。
なんとパート3までと同じく話の大半は未来ではなく現代(厳密には2017年というちょい未来)を舞台にしているではありませんか!
おかげで"ただのSF"っぽさがなくて、しかもアーノルド・シュワルツェネッガーもメインキャストとして出ている。
往年のターミネーターらしさがちゃんとあります!
そして、コンピューターが数十年前よりもめざましい発展を遂げた今という時代であるが故に、1作目、2作目の頃──つまりはスマホはおろかケータイすらまだ普及していなかったあの頃よりもリアリティを感じます。
そしてそれが皮肉で、セリフの一つひとつがどこかシュール。
一度は考えたことがないでしょうか?
これだけ技術が進歩した現代。
昔は人の手で行っていた多くのことが機械やコンピューターでできてしまう時代。
この流れでまたどんどん新しい技術が生まれ開発されていく。
やがてほとんどのことが人間なしでできるようになった未来で、人類の存在する意味とはなんなのか。
──シリーズ通してのこの映画の話の軸。
知能が発達し、自我に目覚めたコンピューターが人類を驚異とみなし、攻撃する。そして機械と人間による戦争が始まる──。
しかしそもそもは機械もコンピューターも人間が生み出した物。
人類の存続のためにそれらを自ら壊していかなければならないくらいにまで発展してしまったとき──。
それが技術進歩の折り返し地点になるのでしょうか。
1984年に1作目が公開されたこの作品は、31年たった今の時代に筆者が考えているこの疑問を既に先取って提起しているように思えます。
…と、なんか大げさに語ってしまいましたが、何よりもシュワちゃんが戻って来てのこのシリーズの最新作の公開はそれだけでうれしいです!
欲を言えば、パート2のジョン役だったエドワード・ファーロングやT-1000役だったロバート・パトリックも、何らかの方法で出演してくれたら最高なのですが。
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