☆それでも平成ゴジラVSシリーズが好き!⑧──『ゴジラvsデストロイア』★
- 2017/02/01
- 23:59
「ゴジラ死す」──。
このキャッチコピーがテレビCMで流れた当時は複雑な気持ちでした。
と同時に、客を惹き付けるためのネタではないかとも思っていました。
平成ゴジラVSシリーズの完結となる作品、
『ゴジラvsデストロイア』(1995年 監督:大河原孝夫 特撮:川北紘一 出演:辰巳琢郎、石野陽子、林泰文、大沢さやか、小高恵美、河内桃子、高嶋政宏、中尾彬 他)


ゴジラvsデストロイア 【60周年記念版】 [Blu-ray][→Amazon]
【あらすじ】──スペースゴジラとの戦いから1年後。
バース島は地下の高純度の天然ウランの爆発により消滅し、ゴジラとリトルゴジラの消息が途絶えた。
その1か月後、香港にゴジラが出現。
その姿は、全身が燃えるように赤い光を帯びて、赤い熱線を吐き出していた。
バース島の天然ウランの爆発による影響で、体内炉心の核エネルギーが不安定になっていたゴジラは、いつ核爆発を起こしてもおかしくない状態であった。
一方、青海トンネルの工事現場では工事用パイプが溶解するトラブルが相次ぎ、しながわ水族館では、水槽の魚が一瞬で白骨化する現象が目撃される。
それはかつて、ゴジラを抹殺したオキシジェン・デストロイヤーにより無酸素状態になった海底で、眠っていた先カンブリア代の微生物が復活し異常進化を遂げた生物によるものであった。
トンネル工事事故調査をしていた物理学者・伊集院研作(辰巳琢郎)は、その生物をデストロイアと名づける。
人間を襲い、急速に巨大化しながら街を破壊していくデストロイア。
ゴジラの体内の核と、オキシジェン・デストロイヤーによって誕生した新たな怪獣により、人類は危機にさらされる──。
☆40年前のおそるべき兵器の化身あらわる!
1954年──。
水爆による洗礼を受け誕生した1匹目のゴジラは東京に上陸し、破壊の限りをつくしました。
そして、たった1つの切り札として、原水爆に匹敵する兵器となりうるオキシジェン・デストロイヤーにより、海底に葬り去られたゴジラ。
芹沢博士は、このおそるべき兵器の研究資料を焼却し、自らの命も断つことでその存在を消し去りました。
しかしオキシジェン・デストロイヤーにより、40年の時を経て現れたデストロイア。
甲殻類のような姿をしたその怪獣は複数で襲いかかり、やがて1つの巨大怪獣として街を破壊します。
体内のオキシジェン・デストロイヤーを光線にして口から放つ「オキシジェン・デストロイヤー・レイ」
正に、かつて同族を抹殺した兵器の化身とも言うべき強敵がゴジラの前に立ちはだかります。
シリーズの最後にこのような敵怪獣を登場させたところは、本当に意味深いものがありますね。
第1作目『ゴジラ』へのオマージュが効かされていて、ある意味、その第1作目の続編ともとれる作品を見事に飾っている敵怪獣なんですが──
ただでさえ体内の核エネルギーで苦しそうなゴジラを、これ以上苦しめないでくれ!と叫びたくなります。
もう見るからに邪悪感がハンパないグロさです!
しかも"デストロイア=ゴジラを倒した兵器であるオキシジェン・デストロイヤー"と言わんばかりに、人間たちもデストロイアをゴジラ打倒に利用しようとする場面があります。
世界を、人類を救うための彼らなりの判断なのですが、そこが悲しくて複雑な気持ちにさせられます。
石野陽子が演じるニュースキャスター・山根ゆかりに襲いかかるシーンは、作り物感が出すぎていて、そこは正直に言って少し残念です。
とはいえ、一体化してゴジラよりひとまわり巨大になった状態からの空を飛ぶ姿は迫力があります。
羽の形も悪魔っぽさがあって、そしてやっぱりグロいです!
ゴツゴツとしていて重量感ありますね。
こんなヤツに負けるなゴジラ!
と言いたくなるワルそうな姿は敵怪獣にふさわしいです。
★リトルゴジラから成長したゴジラジュニア登場
バース島の消滅により、姿を消していたリトルゴジラ。
超能力者の三枝未希(小高恵美)もその存在を感知できず、自分の能力が低下しているのではないかと思い始めます。
しかしそんな中、御前崎沖でゴジラと似た怪獣が出現。
それは行方不明になっていたリトルゴジラが、天然ウランの影響で成長した姿でした。
「リトル、生きていてくれた」
三枝未希の心の声が胸を打ちます。
やっぱりシリーズ通して登場する彼女の視点で、私は感情移入してしまいます。
Gフォース司令官・麻生孝昭(中尾彬)はモニター越しに見つめながら、ゴジラジュニアと名付けます。
『ゴジラvsメカゴジラ』ではベビーゴジラとして、『ゴジラvsスペースゴジラ』ではリトルゴジラとして見てきた私も、このゴジラジュニアが愛しく思えてきます。
それでいてゴジラさながらの熱線を放ちながら、圧倒してくるデストロイアを迎え撃つ姿が頼もしいです。
それにしても!
今回もやはり、前回からの面影がない!
あの丸っこさからの劇的変化!
体の色がやや緑色っぽいのはリトルゴジラからのなごりとして見られるものの、どちらかと言えば前々回のベビーゴジラがそのまま成長したような姿です。
個人的にはリトルゴジラのときが可愛らしくて好きですが、ゴジラとほぼ同じ姿をしたゴジラジュニアの登場シーンには納得がいきます。
故郷のアドノア島に帰ろうとしますが、デストロイアとの戦いのため、そして人類のため、なんとも悲しい展開に向かいます。
☆第1作目の人物と関連する物語のキーパーソンたち
先にも述べたように、本作では1954年の『ゴジラ』へのオマージュが効いた内容となっています。
その演出として、山根博士の養子になった少年・新吉(あのときの丸刈りの少年)の娘でニュースキャスターの山根ゆかり(石野陽子)が登場します。
自身がキャスターを務める番組に出演した伊集院研作のコメントに対し、あまりにもストレートな言葉を発して彼を怒らせます。
しかしながら、その後も伊集院とコンタクトをとり、オキシジェン・デストロイヤーや、その生成につながるミクロオキシゲンについて調査したり、ゴジラとデストロイアの戦いをヘリから中継するなどの活躍を見せます。
そしてゴジラの核爆発およびメルトダウンの対策において活躍するのが山根ゆかりの弟・山根健吉(林泰文)です。
大学生で、ゴジラを独自に研究した論文をアメリカのGサミットに送り、協力することになります。
興味本意でのGサミットへの協力ながら、世界的な危機を目の当たりにし、鋭い解析で発言するところはすばらしいです。
彼が大ファンだという三枝未希を前にしても、堂々たる発言力を発揮し、
──「リトルゴジラは死滅した可能性がある」と未希から反感を買うような仮説を立てたり、
「ゴジラ抹殺のためにデストロイアと戦わせる」という思いきった意見を出します。
淡々としながらも、彼なりの正義が感じられます。
そして感慨深いのが、第1作目で登場した山根博士の娘・山根恵美子が40年の時を経て本作でも登場することです。
しかも演じているのはあの時と同じく河内桃子さんです!
山根恵美子は山根ゆかりと健吉の叔母になります。
伊集院がテレビで語っていたミクロオキシゲンを、オキシジェン・デストロイヤーの危険性と重ね、ゴジラを倒すために伊集院の発明に頼るという健吉の意見に反対します。
彼女の登場と共に、第1作目のシーンが回想として使われているところが、単なるオマージュだけでなく、本作に重みを持たせています。
芹沢博士との婚約を破棄し、その後の恋人だった南海サルベージの尾形秀人とも別れていたということで独身という設定です。
やはりあのとき尾形はゴジラの対策について恵美子の父親・山根博士と意見が対立し、その後も恵美子との結婚について話せずにいたのかもしれないですね。
─悲しきかな、ゴジラが引き裂いた二人の関係──、って勝手に妄想を膨らませる。
★最強兵器スーパーXⅢ登場!そして黒木翔再び!
「防衛庁特殊戦略作戦室室長、三等特佐のあいつしかいないだろ」
原発事故および核攻撃に備えて、冷凍兵器を搭載した陸上自衛隊の新兵器「スーパーXⅢ」
その操縦の指揮を誰がするのかという問いに対する答えをGフォース司令官・麻生孝昭(中尾彬)が言った直後に切り替わる画面には──
そう!『ゴジラvsビオランテ』でスーパーX2の操縦を指揮した黒木翔の登場です。
おおっ!!彼が再び!
と感激したいところですが、誠に残念ながら高嶋政伸ではなく、兄の高嶋政宏が演じています。
同時、政伸さんのほうがスケジュールが合わなかったとのことなんですが──。
やっぱり『──VSビオランテ』のときを知ってる者としては是非とも政伸さんのほうにやってほしかった!
もう一度言いますよ!
麻生司令官:「防衛庁特殊戦略作戦室室長、三等特佐のあいつしかいないだろ」
…と画面が切り替わり、そこには高嶋政伸の顔が映る…。
めちゃカッコよかっただろな~。
もう想像してみてくださいよ~(←知るか!)
とはいえ、兄の政宏さんが演じる黒木翔もクールです。
以前より強力なゴジラの熱線を機体に受けても涼しい表情で操縦する姿。
冷淡とも言える台詞を発していますが、おかげでこちらも涼しい気持ちで展開を見られるようになります。
なんせそれまでゴジラジュニアをしみじみと見てしまったり、燃えるような発光をするゴジラが痛ましかったりですもん!
そんな状況も、以前よりはカッコよくなったスーパーXと共に、実にクールな彼の振る舞いによって冷静になれます。
冷凍兵器と相まってクールなんです!
いや~しかし、ここはやっぱり政伸さんが…(←まだ言うか!)
☆悲しさと"その後"が気になるラスト
核爆発は免れたものの、核エネルギーにより体内の熱が限界に達し、ついにメルトダウンを始めるゴジラのシーン。
劇場で観た当時は本当に悲しかったです。
ああ、ゴジラがついに!
オキシジェン・デストロイヤーによって抹殺されたあのときのゴジラの姿と重なるがごとく、溶けた体から骨格をあらわにします。
『ゴジラvsメカゴジラ』以来、Gフォースを指揮し、ゴジラ打倒に尽力してきた麻生司令官までもが、このときだけは悲しみの表情を浮かべているのが印象的。
キング・オブ・モンスターの哀れな最期の姿は、今見ても涙腺が熱くなります。
人類の敵として描かれていながら、ゴジラをヒーローのように崇めていた小学生の私は、我ながらよくこのシーンを冷静に見届けられたなと思います。
「ゴジラが溶けていく。東京を死の街に変えながら」
本当なら多量の放射性物質によって街は近づけないほどの放射線を帯びているはず…。
しかし、測定器の数値が下がっていきます。
白煙の中、あの鳴き声が響きわたり、見つめる先には──
デストロイアによって殺されたはずのジュニアが、完全なるゴジラの姿であらわれます!
そしてエンディングへ。
うわ!この続きがあるなら観たい!
そんなラストで幕を閉じます。
─さて、平成ゴジラVSシリーズについて語る8回にわたる記事をここまで読んでいただき、ありがとうございます。
いかがだったでしょうか?
たまたま今回の記事にたどり着き、以前の記事をまだ読んでいない方にも、初回にさかのぼって読んでいただけたら幸いです。
庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』がヒットし、世間では"ゴジラ=シン・ゴジラ"というムードになっている中で、今頃になって90年代前期の平成ゴジラシリーズというニッチな?作品に触れました。
それらを語るうえで、前身の作品となる1954年『ゴジラ』と1984年『ゴジラ』も含めた意味での8回となりました。
もちろん『シン・ゴジラ』もすばらしい作品だし、2016年の日本映画界における傑作だと、私は思っています。
そんなすばらしい作品を劇場で観た後、思い出したように過去のゴジラ映画を観ていった私。
中でも小学生の頃にリアルタイムで観た平成ゴジラVSシリーズが、やはり自分にとって一番思い入れの深い作品たちだなと、今改めて感じました。
とりわけ『ゴジラvsデストロイア』が公開されたのは1995年で、地元の阪神・淡路大震災があった年の末だったということを改めて確認しました。
そんな年に公開された作品だったという記憶が実はなく、今も信じられないくらいです。
もうそんなにも前の作品になるのかと感慨にふけりながら、震災からもっと後になってからの作品だった気がしてなりません。
いかにあの頃と今とでは、時間の長さの感じ方が違うということを思い知らされます。
以後、日本におけるオリジナルに関しては、この『ゴジラvsデストロイア』が自分の中の最後のゴジラ映画となっていました。
その後はしばらくゴジラ熱が途切れ、1998年に公開されたのがローランド・エメリッヒ監督による『GODZILLA』です。
この頃は日本のゴジラの魅力を忘れ、すっかりこのハリウッド版ゴジラに染まってしまっていました。
ゴジラの名前ぬきに観れば、モンスターパニック映画として悪くないし、当時の私もその意味で高く評価していたのでしょう。
しかし、あれはただのバカでかいイグアナで、どうみたってゴジラじゃないですよね?
その後の日本におけるゴジラはミレニアムシリーズに突入しましたが、当時は完全にスルーしていました。
ゴジラ熱そのものが完全になかったころだし、どうしても子供向けの映画として見てしまうだろうから、中高生の私には響かなかったのでしょう。
その意味では、ゴジラの過去作品の魅力を思い出すきっかけとなった『シン・ゴジラ』には感謝しないといけないなと思います。
このシリーズの記事にリンクで載せたBlu-rayたちは、ギャレス・エドワーズ監督によるハリウッド版が公開された2014年に、ゴジラ生誕60周年記念として発売された物です。
私はまずTSUTAYAでこれら平成ゴジラシリーズを順番にレンタルして「やっぱおもしろい!」と思い、その後にBlu-rayのほうを大人買いしてしまいました!
(+昭和シリーズもいくつか…)
★総合的に見る平成ゴジラVSシリーズの魅力
こうして80年代の終わりから90年代前期の平成ゴジラシリーズを今改めて観てきました。
そのうえで、私が思うこのシリーズの総合的な魅力とは──
まず今の時代に、おそらくこんな映画を作ろうとしても、逆に無理なんだろうというような創造性があることです。
昭和シリーズもそうですが、VFXの技術が進んだ今、このようなミニチュアを駆使した特撮はなかなかないでしょう。
予算と制作期間があれば、もっとリアルに表現できる手段ができている中で、ミニチュアを使うのは時代の逆行になるかと思われます。
だから今のほうが「甲」で昔のほうが「乙」という単純な見方かというと、そうではありません。
昔の特撮ならではの芸術性というのがあって、それはそれで観ていて楽しいです。
どんなに予算と技術を投じて、リアルに作られていても、つまらない作品というのもあります。
CGの使用率が比較的高いミレニアムシリーズも、おもしろいと思う要素はあります。
しかし(あれこそ予算や制作期間などの制約があったかもしれないせいか)、CGを使ったことがかえって中途半端な表現に見えてしまっています。
90年代前期に比べればVFX技術が進んでいたとはいっても、あの当時の日本映画界ではまだ限界があったかもしれません。
その点、平成ゴジラシリーズのミニチュアは、たとえ作り物だとわかりきっていても、そこに制作者側の創造性が感じられて、それ自体がアートとして観ることができます。
不自然な合成も見受けられるけれど、観ていて楽しいと感じさせたら勝ちと言えるでしょう。
「ただリアルなだけじゃ、必ずしもおもしろいとは限らない」ということです。
その"リアルさ"という点においては、ストーリーでも言えます。
タイムマシンや未来人を登場させたり、架空の兵器を登場させたり、といった演出は確かに非現実的すぎます。
『シン・ゴジラ』のキャッチコピーにあった
「"現実"(日本)対"虚構"(ゴジラ)」どころか、
ゴジラも、そして迎え撃つ側やその周辺も"虚構"となりうる演出を、平成ゴジラVSシリーズでは堂々と取り入れています。
確かに賛否両論あるでしょう。
ただ、ここでもやはり、そんな演出なりの芸術性や創造性を感じさせられます。
まず、発想力がすごいです!
─現実にある科学的理論の延長戦─。
これがSF映画の醍醐味と言えるということを、以前のブログでも述べましたが、ゴジラ映画は正にその要素が入っていると言えます。
たとえ初代の作品であっても、「核による生物の変異」というところがすでにSFです。
そこから発展させて(発展させすぎていくらなんでもですが…)、更に抗核エネルギーバクテリアやスーパーXやメーサー戦車などの登場です。
こういうSF演出は、ハリウッドの専売特許のように思えてくることがあります。
なんせ、SF映画なんてほとんどハリウッドしか作ってないでしょうから。
しかし、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』やら『ターミネーター』やら『ジュラシック・パーク』やらがヒットしていた時期に、日本にもこれだけの発想力や創造性を発揮したSF映画があったんだと、誇りに思えてこないでしょうか?
そして、こんなSF表現の中にも、なぜか重量感ある俳優たちの演技や人間ドラマもある点も、このシリーズの良さです。
ミレニアムシリーズも一概に悪いというわけではないのですが、俳優たちの演技もしくは人物そのものが軽い感じがします。
子供向けの雰囲気というべきでしょうか?
ファミリー向けにしたのであればわかりますが、作品全体としての重量感が損なわれてしまっている気がします。
(3式機龍が登場した2作品は結構好きです。)
やはり1984年『ゴジラ』や『ゴジラvsビオランテ』辺りと比べると、その差ははっきりしています。
ここは小林桂樹や三田村邦彦の力か!
ここまで述べてきて最後にもう2つ、何よりも重要な要素を言います。
それは、
・怪獣たちがカッコいいこと
・登場人物の持つスマート感
です。
前者に関しては、やはりこの頃のゴジラが一番カッコいいですね。
それでいて愛嬌もあります。
そして80メートル、100メートルと巨大化したゴジラに合わせてそのほかの怪獣たちも巨大です。
そのおかげで現代の高層ビルが立ち並ぶ街のシーンでも見事に映えます。
リトルゴジラはまたかわいいですしね。
そして後者に関しては、先ほど述べた重量感ある俳優たちの話しと重なりますが、念をおして述べて、登場人物の雰囲気そのものに、そもそもスマート感があります。
例えば小高恵美が演じる三枝未希は超能力者という設定ながら、しっかりとシリアスに描写されています。
『ゴジラvsキングギドラ』に登場する新堂靖明は、日本陸軍少佐としての太平洋戦争での経験から、ゴジラに強い思い入れがあり、本望といわんばかりに自らゴジラの熱戦によって殺されるという複雑な人物像です。
そして「モスラの歌」を歌う小美人コスモスは、見た目の可憐さはもちろんのこと、ザ・ピーナッツとはまた違った透明感ある声で歌います。
ここにあげた例はほんの一部ですが、とにかくこういった登場人物たちが本編ストーリーの柱となっています。
なかなか言葉だけでは言い表しにくい感覚ですが、詳しくは実際に観てみていただければわかるかと思います。
(あくまで私の感覚です!)
そうですね…音楽業界に例えるなら、この頃って大人が真面目に聴けるポップソングがあって、オーソドックスにカッコいいロックバンドがいました。
最近のようにワザと変な名前がついたアーティストはあまりいませんでした。
即ち、これが90年代テイストによって放たれるスマートな一面ということです。
そういうテイストがこの頃のゴジラ映画に登場する人物たちにもあったと言えば、伝わるでしょうか。
さあ、そんなこんなで先ほどからも述べてるように『シン・ゴジラ』ももちろんすばらしいですよ!
怪獣という、そもそもぶっ飛んだ空想に、見事なまでにリアリティを醸した周辺の描写の組み合わせには、かないません。
「それでも平成ゴジラVSシリーズが好き!」
という実に個人的でニッチなネタをお送りしてまいりました。
このブログを読んで、
「なにいってんだ?シン・ゴジラが一番に決まってるだろ!」
とか、
「昭和ゴジラもいいぞ!」
など、さまざまな意見があるでしょう。
あるいはもしかしたら
「私、同世代です。同感です!」
なんて意見もあれば、うれしい限りです。
そして、まだ平成ゴジラVSシリーズを観たことない方で、興味を持っていただける方がいれば正に本望です!


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このキャッチコピーがテレビCMで流れた当時は複雑な気持ちでした。
と同時に、客を惹き付けるためのネタではないかとも思っていました。
平成ゴジラVSシリーズの完結となる作品、
『ゴジラvsデストロイア』(1995年 監督:大河原孝夫 特撮:川北紘一 出演:辰巳琢郎、石野陽子、林泰文、大沢さやか、小高恵美、河内桃子、高嶋政宏、中尾彬 他)

【あらすじ】──スペースゴジラとの戦いから1年後。
バース島は地下の高純度の天然ウランの爆発により消滅し、ゴジラとリトルゴジラの消息が途絶えた。
その1か月後、香港にゴジラが出現。
その姿は、全身が燃えるように赤い光を帯びて、赤い熱線を吐き出していた。
バース島の天然ウランの爆発による影響で、体内炉心の核エネルギーが不安定になっていたゴジラは、いつ核爆発を起こしてもおかしくない状態であった。
一方、青海トンネルの工事現場では工事用パイプが溶解するトラブルが相次ぎ、しながわ水族館では、水槽の魚が一瞬で白骨化する現象が目撃される。
それはかつて、ゴジラを抹殺したオキシジェン・デストロイヤーにより無酸素状態になった海底で、眠っていた先カンブリア代の微生物が復活し異常進化を遂げた生物によるものであった。
トンネル工事事故調査をしていた物理学者・伊集院研作(辰巳琢郎)は、その生物をデストロイアと名づける。
人間を襲い、急速に巨大化しながら街を破壊していくデストロイア。
ゴジラの体内の核と、オキシジェン・デストロイヤーによって誕生した新たな怪獣により、人類は危機にさらされる──。
☆40年前のおそるべき兵器の化身あらわる!
1954年──。
水爆による洗礼を受け誕生した1匹目のゴジラは東京に上陸し、破壊の限りをつくしました。
そして、たった1つの切り札として、原水爆に匹敵する兵器となりうるオキシジェン・デストロイヤーにより、海底に葬り去られたゴジラ。
芹沢博士は、このおそるべき兵器の研究資料を焼却し、自らの命も断つことでその存在を消し去りました。
しかしオキシジェン・デストロイヤーにより、40年の時を経て現れたデストロイア。
甲殻類のような姿をしたその怪獣は複数で襲いかかり、やがて1つの巨大怪獣として街を破壊します。
体内のオキシジェン・デストロイヤーを光線にして口から放つ「オキシジェン・デストロイヤー・レイ」
正に、かつて同族を抹殺した兵器の化身とも言うべき強敵がゴジラの前に立ちはだかります。
シリーズの最後にこのような敵怪獣を登場させたところは、本当に意味深いものがありますね。
第1作目『ゴジラ』へのオマージュが効かされていて、ある意味、その第1作目の続編ともとれる作品を見事に飾っている敵怪獣なんですが──
ただでさえ体内の核エネルギーで苦しそうなゴジラを、これ以上苦しめないでくれ!と叫びたくなります。
もう見るからに邪悪感がハンパないグロさです!
しかも"デストロイア=ゴジラを倒した兵器であるオキシジェン・デストロイヤー"と言わんばかりに、人間たちもデストロイアをゴジラ打倒に利用しようとする場面があります。
世界を、人類を救うための彼らなりの判断なのですが、そこが悲しくて複雑な気持ちにさせられます。
石野陽子が演じるニュースキャスター・山根ゆかりに襲いかかるシーンは、作り物感が出すぎていて、そこは正直に言って少し残念です。
とはいえ、一体化してゴジラよりひとまわり巨大になった状態からの空を飛ぶ姿は迫力があります。
羽の形も悪魔っぽさがあって、そしてやっぱりグロいです!
ゴツゴツとしていて重量感ありますね。
こんなヤツに負けるなゴジラ!
と言いたくなるワルそうな姿は敵怪獣にふさわしいです。
★リトルゴジラから成長したゴジラジュニア登場
バース島の消滅により、姿を消していたリトルゴジラ。
超能力者の三枝未希(小高恵美)もその存在を感知できず、自分の能力が低下しているのではないかと思い始めます。
しかしそんな中、御前崎沖でゴジラと似た怪獣が出現。
それは行方不明になっていたリトルゴジラが、天然ウランの影響で成長した姿でした。
「リトル、生きていてくれた」
三枝未希の心の声が胸を打ちます。
やっぱりシリーズ通して登場する彼女の視点で、私は感情移入してしまいます。
Gフォース司令官・麻生孝昭(中尾彬)はモニター越しに見つめながら、ゴジラジュニアと名付けます。
『ゴジラvsメカゴジラ』ではベビーゴジラとして、『ゴジラvsスペースゴジラ』ではリトルゴジラとして見てきた私も、このゴジラジュニアが愛しく思えてきます。
それでいてゴジラさながらの熱線を放ちながら、圧倒してくるデストロイアを迎え撃つ姿が頼もしいです。
それにしても!
今回もやはり、前回からの面影がない!
あの丸っこさからの劇的変化!
体の色がやや緑色っぽいのはリトルゴジラからのなごりとして見られるものの、どちらかと言えば前々回のベビーゴジラがそのまま成長したような姿です。
個人的にはリトルゴジラのときが可愛らしくて好きですが、ゴジラとほぼ同じ姿をしたゴジラジュニアの登場シーンには納得がいきます。
故郷のアドノア島に帰ろうとしますが、デストロイアとの戦いのため、そして人類のため、なんとも悲しい展開に向かいます。
☆第1作目の人物と関連する物語のキーパーソンたち
先にも述べたように、本作では1954年の『ゴジラ』へのオマージュが効いた内容となっています。
その演出として、山根博士の養子になった少年・新吉(あのときの丸刈りの少年)の娘でニュースキャスターの山根ゆかり(石野陽子)が登場します。
自身がキャスターを務める番組に出演した伊集院研作のコメントに対し、あまりにもストレートな言葉を発して彼を怒らせます。
しかしながら、その後も伊集院とコンタクトをとり、オキシジェン・デストロイヤーや、その生成につながるミクロオキシゲンについて調査したり、ゴジラとデストロイアの戦いをヘリから中継するなどの活躍を見せます。
そしてゴジラの核爆発およびメルトダウンの対策において活躍するのが山根ゆかりの弟・山根健吉(林泰文)です。
大学生で、ゴジラを独自に研究した論文をアメリカのGサミットに送り、協力することになります。
興味本意でのGサミットへの協力ながら、世界的な危機を目の当たりにし、鋭い解析で発言するところはすばらしいです。
彼が大ファンだという三枝未希を前にしても、堂々たる発言力を発揮し、
──「リトルゴジラは死滅した可能性がある」と未希から反感を買うような仮説を立てたり、
「ゴジラ抹殺のためにデストロイアと戦わせる」という思いきった意見を出します。
淡々としながらも、彼なりの正義が感じられます。
そして感慨深いのが、第1作目で登場した山根博士の娘・山根恵美子が40年の時を経て本作でも登場することです。
しかも演じているのはあの時と同じく河内桃子さんです!
山根恵美子は山根ゆかりと健吉の叔母になります。
伊集院がテレビで語っていたミクロオキシゲンを、オキシジェン・デストロイヤーの危険性と重ね、ゴジラを倒すために伊集院の発明に頼るという健吉の意見に反対します。
彼女の登場と共に、第1作目のシーンが回想として使われているところが、単なるオマージュだけでなく、本作に重みを持たせています。
芹沢博士との婚約を破棄し、その後の恋人だった南海サルベージの尾形秀人とも別れていたということで独身という設定です。
やはりあのとき尾形はゴジラの対策について恵美子の父親・山根博士と意見が対立し、その後も恵美子との結婚について話せずにいたのかもしれないですね。
─悲しきかな、ゴジラが引き裂いた二人の関係──、って勝手に妄想を膨らませる。
★最強兵器スーパーXⅢ登場!そして黒木翔再び!
「防衛庁特殊戦略作戦室室長、三等特佐のあいつしかいないだろ」
原発事故および核攻撃に備えて、冷凍兵器を搭載した陸上自衛隊の新兵器「スーパーXⅢ」
その操縦の指揮を誰がするのかという問いに対する答えをGフォース司令官・麻生孝昭(中尾彬)が言った直後に切り替わる画面には──
そう!『ゴジラvsビオランテ』でスーパーX2の操縦を指揮した黒木翔の登場です。
おおっ!!彼が再び!
と感激したいところですが、誠に残念ながら高嶋政伸ではなく、兄の高嶋政宏が演じています。
同時、政伸さんのほうがスケジュールが合わなかったとのことなんですが──。
やっぱり『──VSビオランテ』のときを知ってる者としては是非とも政伸さんのほうにやってほしかった!
もう一度言いますよ!
麻生司令官:「防衛庁特殊戦略作戦室室長、三等特佐のあいつしかいないだろ」
…と画面が切り替わり、そこには高嶋政伸の顔が映る…。
めちゃカッコよかっただろな~。
もう想像してみてくださいよ~(←知るか!)
とはいえ、兄の政宏さんが演じる黒木翔もクールです。
以前より強力なゴジラの熱線を機体に受けても涼しい表情で操縦する姿。
冷淡とも言える台詞を発していますが、おかげでこちらも涼しい気持ちで展開を見られるようになります。
なんせそれまでゴジラジュニアをしみじみと見てしまったり、燃えるような発光をするゴジラが痛ましかったりですもん!
そんな状況も、以前よりはカッコよくなったスーパーXと共に、実にクールな彼の振る舞いによって冷静になれます。
冷凍兵器と相まってクールなんです!
いや~しかし、ここはやっぱり政伸さんが…(←まだ言うか!)
☆悲しさと"その後"が気になるラスト
核爆発は免れたものの、核エネルギーにより体内の熱が限界に達し、ついにメルトダウンを始めるゴジラのシーン。
劇場で観た当時は本当に悲しかったです。
ああ、ゴジラがついに!
オキシジェン・デストロイヤーによって抹殺されたあのときのゴジラの姿と重なるがごとく、溶けた体から骨格をあらわにします。
『ゴジラvsメカゴジラ』以来、Gフォースを指揮し、ゴジラ打倒に尽力してきた麻生司令官までもが、このときだけは悲しみの表情を浮かべているのが印象的。
キング・オブ・モンスターの哀れな最期の姿は、今見ても涙腺が熱くなります。
人類の敵として描かれていながら、ゴジラをヒーローのように崇めていた小学生の私は、我ながらよくこのシーンを冷静に見届けられたなと思います。
「ゴジラが溶けていく。東京を死の街に変えながら」
本当なら多量の放射性物質によって街は近づけないほどの放射線を帯びているはず…。
しかし、測定器の数値が下がっていきます。
白煙の中、あの鳴き声が響きわたり、見つめる先には──
デストロイアによって殺されたはずのジュニアが、完全なるゴジラの姿であらわれます!
そしてエンディングへ。
うわ!この続きがあるなら観たい!
そんなラストで幕を閉じます。
─さて、平成ゴジラVSシリーズについて語る8回にわたる記事をここまで読んでいただき、ありがとうございます。
いかがだったでしょうか?
たまたま今回の記事にたどり着き、以前の記事をまだ読んでいない方にも、初回にさかのぼって読んでいただけたら幸いです。
庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』がヒットし、世間では"ゴジラ=シン・ゴジラ"というムードになっている中で、今頃になって90年代前期の平成ゴジラシリーズというニッチな?作品に触れました。
それらを語るうえで、前身の作品となる1954年『ゴジラ』と1984年『ゴジラ』も含めた意味での8回となりました。
もちろん『シン・ゴジラ』もすばらしい作品だし、2016年の日本映画界における傑作だと、私は思っています。
そんなすばらしい作品を劇場で観た後、思い出したように過去のゴジラ映画を観ていった私。
中でも小学生の頃にリアルタイムで観た平成ゴジラVSシリーズが、やはり自分にとって一番思い入れの深い作品たちだなと、今改めて感じました。
とりわけ『ゴジラvsデストロイア』が公開されたのは1995年で、地元の阪神・淡路大震災があった年の末だったということを改めて確認しました。
そんな年に公開された作品だったという記憶が実はなく、今も信じられないくらいです。
もうそんなにも前の作品になるのかと感慨にふけりながら、震災からもっと後になってからの作品だった気がしてなりません。
いかにあの頃と今とでは、時間の長さの感じ方が違うということを思い知らされます。
以後、日本におけるオリジナルに関しては、この『ゴジラvsデストロイア』が自分の中の最後のゴジラ映画となっていました。
その後はしばらくゴジラ熱が途切れ、1998年に公開されたのがローランド・エメリッヒ監督による『GODZILLA』です。
この頃は日本のゴジラの魅力を忘れ、すっかりこのハリウッド版ゴジラに染まってしまっていました。
ゴジラの名前ぬきに観れば、モンスターパニック映画として悪くないし、当時の私もその意味で高く評価していたのでしょう。
しかし、あれはただのバカでかいイグアナで、どうみたってゴジラじゃないですよね?
その後の日本におけるゴジラはミレニアムシリーズに突入しましたが、当時は完全にスルーしていました。
ゴジラ熱そのものが完全になかったころだし、どうしても子供向けの映画として見てしまうだろうから、中高生の私には響かなかったのでしょう。
その意味では、ゴジラの過去作品の魅力を思い出すきっかけとなった『シン・ゴジラ』には感謝しないといけないなと思います。
このシリーズの記事にリンクで載せたBlu-rayたちは、ギャレス・エドワーズ監督によるハリウッド版が公開された2014年に、ゴジラ生誕60周年記念として発売された物です。
私はまずTSUTAYAでこれら平成ゴジラシリーズを順番にレンタルして「やっぱおもしろい!」と思い、その後にBlu-rayのほうを大人買いしてしまいました!
(+昭和シリーズもいくつか…)
★総合的に見る平成ゴジラVSシリーズの魅力
こうして80年代の終わりから90年代前期の平成ゴジラシリーズを今改めて観てきました。
そのうえで、私が思うこのシリーズの総合的な魅力とは──
まず今の時代に、おそらくこんな映画を作ろうとしても、逆に無理なんだろうというような創造性があることです。
昭和シリーズもそうですが、VFXの技術が進んだ今、このようなミニチュアを駆使した特撮はなかなかないでしょう。
予算と制作期間があれば、もっとリアルに表現できる手段ができている中で、ミニチュアを使うのは時代の逆行になるかと思われます。
だから今のほうが「甲」で昔のほうが「乙」という単純な見方かというと、そうではありません。
昔の特撮ならではの芸術性というのがあって、それはそれで観ていて楽しいです。
どんなに予算と技術を投じて、リアルに作られていても、つまらない作品というのもあります。
CGの使用率が比較的高いミレニアムシリーズも、おもしろいと思う要素はあります。
しかし(あれこそ予算や制作期間などの制約があったかもしれないせいか)、CGを使ったことがかえって中途半端な表現に見えてしまっています。
90年代前期に比べればVFX技術が進んでいたとはいっても、あの当時の日本映画界ではまだ限界があったかもしれません。
その点、平成ゴジラシリーズのミニチュアは、たとえ作り物だとわかりきっていても、そこに制作者側の創造性が感じられて、それ自体がアートとして観ることができます。
不自然な合成も見受けられるけれど、観ていて楽しいと感じさせたら勝ちと言えるでしょう。
「ただリアルなだけじゃ、必ずしもおもしろいとは限らない」ということです。
その"リアルさ"という点においては、ストーリーでも言えます。
タイムマシンや未来人を登場させたり、架空の兵器を登場させたり、といった演出は確かに非現実的すぎます。
『シン・ゴジラ』のキャッチコピーにあった
「"現実"(日本)対"虚構"(ゴジラ)」どころか、
ゴジラも、そして迎え撃つ側やその周辺も"虚構"となりうる演出を、平成ゴジラVSシリーズでは堂々と取り入れています。
確かに賛否両論あるでしょう。
ただ、ここでもやはり、そんな演出なりの芸術性や創造性を感じさせられます。
まず、発想力がすごいです!
─現実にある科学的理論の延長戦─。
これがSF映画の醍醐味と言えるということを、以前のブログでも述べましたが、ゴジラ映画は正にその要素が入っていると言えます。
たとえ初代の作品であっても、「核による生物の変異」というところがすでにSFです。
そこから発展させて(発展させすぎていくらなんでもですが…)、更に抗核エネルギーバクテリアやスーパーXやメーサー戦車などの登場です。
こういうSF演出は、ハリウッドの専売特許のように思えてくることがあります。
なんせ、SF映画なんてほとんどハリウッドしか作ってないでしょうから。
しかし、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』やら『ターミネーター』やら『ジュラシック・パーク』やらがヒットしていた時期に、日本にもこれだけの発想力や創造性を発揮したSF映画があったんだと、誇りに思えてこないでしょうか?
そして、こんなSF表現の中にも、なぜか重量感ある俳優たちの演技や人間ドラマもある点も、このシリーズの良さです。
ミレニアムシリーズも一概に悪いというわけではないのですが、俳優たちの演技もしくは人物そのものが軽い感じがします。
子供向けの雰囲気というべきでしょうか?
ファミリー向けにしたのであればわかりますが、作品全体としての重量感が損なわれてしまっている気がします。
(3式機龍が登場した2作品は結構好きです。)
やはり1984年『ゴジラ』や『ゴジラvsビオランテ』辺りと比べると、その差ははっきりしています。
ここは小林桂樹や三田村邦彦の力か!
ここまで述べてきて最後にもう2つ、何よりも重要な要素を言います。
それは、
・怪獣たちがカッコいいこと
・登場人物の持つスマート感
です。
前者に関しては、やはりこの頃のゴジラが一番カッコいいですね。
それでいて愛嬌もあります。
そして80メートル、100メートルと巨大化したゴジラに合わせてそのほかの怪獣たちも巨大です。
そのおかげで現代の高層ビルが立ち並ぶ街のシーンでも見事に映えます。
リトルゴジラはまたかわいいですしね。
そして後者に関しては、先ほど述べた重量感ある俳優たちの話しと重なりますが、念をおして述べて、登場人物の雰囲気そのものに、そもそもスマート感があります。
例えば小高恵美が演じる三枝未希は超能力者という設定ながら、しっかりとシリアスに描写されています。
『ゴジラvsキングギドラ』に登場する新堂靖明は、日本陸軍少佐としての太平洋戦争での経験から、ゴジラに強い思い入れがあり、本望といわんばかりに自らゴジラの熱戦によって殺されるという複雑な人物像です。
そして「モスラの歌」を歌う小美人コスモスは、見た目の可憐さはもちろんのこと、ザ・ピーナッツとはまた違った透明感ある声で歌います。
ここにあげた例はほんの一部ですが、とにかくこういった登場人物たちが本編ストーリーの柱となっています。
なかなか言葉だけでは言い表しにくい感覚ですが、詳しくは実際に観てみていただければわかるかと思います。
(あくまで私の感覚です!)
そうですね…音楽業界に例えるなら、この頃って大人が真面目に聴けるポップソングがあって、オーソドックスにカッコいいロックバンドがいました。
最近のようにワザと変な名前がついたアーティストはあまりいませんでした。
即ち、これが90年代テイストによって放たれるスマートな一面ということです。
そういうテイストがこの頃のゴジラ映画に登場する人物たちにもあったと言えば、伝わるでしょうか。
さあ、そんなこんなで先ほどからも述べてるように『シン・ゴジラ』ももちろんすばらしいですよ!
怪獣という、そもそもぶっ飛んだ空想に、見事なまでにリアリティを醸した周辺の描写の組み合わせには、かないません。
「それでも平成ゴジラVSシリーズが好き!」
という実に個人的でニッチなネタをお送りしてまいりました。
このブログを読んで、
「なにいってんだ?シン・ゴジラが一番に決まってるだろ!」
とか、
「昭和ゴジラもいいぞ!」
など、さまざまな意見があるでしょう。
あるいはもしかしたら
「私、同世代です。同感です!」
なんて意見もあれば、うれしい限りです。
そして、まだ平成ゴジラVSシリーズを観たことない方で、興味を持っていただける方がいれば正に本望です!

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